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ヤマハXSR700 ~二輪士のオートバイ~ - 渓流詩人の徒然日記

私が終(つい)のオートバイにするのはこのヤマハXSR700にしようと決めている。そして、「私はこのようにカスタムしてしまうかも」と言ったら、この車種を考案して作った本人から「まずはノーマルで」と釘を刺された。そりゃそうだね(笑)。なぜ私がヤマハXSR700を人生最後のバイクにしようと思っているかというと、ヤマハXSR700を作るにあたっては、最初から最後まで私の日記からヒントをもらい、車作りの大きな支えとなったとのことだからだ。最初、開発本拠地があるイタリアに赴任しているヤマハのXSR700の開発総責任者から連絡を貰った時、そんな天下の世界のヤマハがそんなことあるわけがないと半信半疑だった。開発総責任者が浜松の本社に社用で帰国する時に是非とも会いたいとのことで、中間地点の大阪で本人と会うことにした。あり得ないような嘘見たいな話は本当の真実だったのだ。ヤマハXSR700は、私のオートバイだ(笑)。XSR700を作った本人は明朗快活な人だった。いい男。久しぶりにナイスガイに出会った。私たちは、初見から1時間後には30年来の知己のようになっていた。とんでもなくウマが合う。足下が覚束ない程に二人で痛飲した。私の日記については、2002年の初めから全部を熟読したのだと言う。まだ、ネットストーカーが裏壺チャンネルで揶揄中傷の罵詈雑言の嵐で騒ぐ前のことで、パスワード制を敷いていないので誰でも自由に過去記事まで読めた時代のことだ。ヤマハXSR700を作った彼はMT-07も開発総責任者として作っている。日本刀も大好きで、日本刀について研究調査をしていて私のことを知ったらしい。そして、「これだ!」となったと言う。彼は後に游雲会メンバーとなり、新作康宏も発注してくれた。それは義理とかではなく、彼自身多くの時代刀剣を所有しているが、康宏については個別に非常に惹かれるものがあるからだと言う。以心伝心というものは目に見えないところであるのかも知れない。彼のために打たれた康宏作は改心の出来栄えとなった。それはもう打ち上がり、登録も済んで研ぎも終わり、現在は拵の製作の段階だ。鞘塗りは彼が選んだ漆職人さんとの段取りを今夏彼が帰国した際に打ち合わせを進めたようだ。数年来待たせてしまったが、彼の為の斬鉄剣小林康宏作は無事に刀身パートは完成した。金具等を揃えるのも、海外在住なので苦労したようだが、品の良い時代金具でまとまったようだ。ヤマハXSR700の開発の中心幹は「子どもへ、次の世代へ乗り継げるオートバイ」これに尽きる。彼は元々はヤマハRZのハードユーザーだった。工学部の大学時代から自分でRZのエンジンを全バラして組み立てたりもしていた。また、バイクでロシアや各国も旅をしてきた経験もある。そうした彼の人生経験の集大成として、ヤマハXSR700が完成した。ただスピードだけ求めて乗り潰すバイクではなく、手を入れながらも大切に次世代に乗り繋いでいける車。それが開発のコンセプトの中心だった。それは、まるで家に代々伝えられた刀であるかのように。ヤマハXSR700の開発思想は、「先祖伝来の日本刀」なのだった。そのヤマハXSR700がこの世に生を受けたことに、少なからず(かなり大きく?)私が関与していたということに、私自身は言い知れない感慨がある。そのマシン= XSR700に私本人が乗らずして何とする。よくの世の中のあらぬ汚れに染まった人たちは殆どの人が私とXSR700の関係の話を聞いてこう私に言う。「そのXSR700を1台ただでくれるとはならなかったのか」と。俗人たちよ、寝言も大概にしなさい。開発総責任者本人も康宏刀は自分の金で買い求めている。当たり前のことだ。それに、なんでもかんでもタダでと即発想するそのオモライ根性はなんなのか。奇しくも、XSR700と私の関係の顛末は、その実話の事実を人に話すと、その人の真実の人間性を計るバロメーターにもなっている。その人間の本質が即照らし出されるのだ。これはある意味面白い。日本刀に関しては、真に日本刀との接し方をできる人かそうでない人種かは即判る。日本刀を所持しているのを知ると「その刀は売るといくらになるの?」とか「それいくらするの?」と問う日本人は非常に多い。そういうのは武家や武士にはいない。一人もいない。刀の本来ある人間との関係性とは無縁なところでずっといた人たちの発想だ。市場流通商品としての金額の高低、金員の多寡によってしか物の判断ができない種族たち。犬についてもそうだ。血統書付純潔種を連れていると「その犬高いんでしょう?」などと言う人間や、口に出さずともそのように発想したという人間は非常に多い。根本的に、人と人に付随する存在の関係性で何が一番大切なことであるのかをそうした種族たちは理解できない。多分、一生死ぬまで理解できないことだろう。人の中身が根本的に異なるからだ。ヤマハXSR700の開発思想は、そうした人の感性を真っ向から否定するところに中心幹がある。「親から子へ乗り継げるオートバイ」まさに、ヤマハXSR700は家伝の日本刀そのものなのである。乗る者は選ばれる。刀を錆びさせない二輪士である。